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中国語の初級では、一人称複数の代名詞が二つあることを習う。「我们」と「咱们」だ。簡単な説明しかない教科書では大抵、「我们」がexclusive、すなわち二人称を除外した一人称複数、「咱们」がinclusive、すなわち二人称を包括した一人称複数だという風に説明されている。俺が中国語を習い始めたばかりの頃「英語ならwe, our, usで済むものを、中国語ではいちいち考えて使い分けないといけないのか」と思ったが、実際には「我们」はexclusiveとinclusiveの両方の意味で使われ、特にinclusiveであることを強調するときだけ「咱们」が用いられている。要するに、面倒なら「我们」を使えばなんの問題もないのである。実際に中国人も「咱们」をあまり使わない。例えば、「一緒にメシ食おうぜ」は「我们一起吃饭吧」で十分だし、それがむしろ自然だ。俺の中国語の語感はかなりいい加減だが「咱们一起吃饭吧」というと、なんだか気のある女の子に向かって言っているような感じがする。
ところで、モンゴル語の一人称複数にもexclusiveとinclusiveの対立がある。主格では共に’бид’であるが、それ以外の格では区別され、例えば属格(いわゆる所有格)ではinclusiveが’бидний’で、exclusiveが’манай’となる。本来exclusiveである「我们」の多用される中国語と同様に、モンゴル語でもexclusiveである’манай’が多用される。例えば、「うちの学校」は中国語では「我们学校」、モンゴル語では’манай сулгууль’である。「うちの学校ってさ…」とクラスメイト同士で話すときにはinclusiveである’бидний сургууль’となるかもしれないが、もし’манай сулгууль’が’бидний сургууль’の意味を含むということになれば、モンゴル語でも中国語と同様に本来exclusiveとされる一人称複数代名詞が中立的な意味を持つということになり、なかなか面白い。とはいえこれは、現在周囲に適当なインフォーマントがいないので確認できない。ただ、一度モンゴル人の友人に「二人称複数の各変化を教えて」と頼んだとき、’бид’から始まって’манай’の系統で表を作ってくれたことがあり、そちらがまず頭に浮かんだという事実は、もしかしたらモンゴル語が’манай’中立志向性を持っていることを示唆しているかもしれない。 直感的には日本語や韓国語にはexclusiveとinclusiveの区別がないという風に思いがちだが、よくよく考えてみると「私ども」や’저희’というような謙譲体の一人称複数はexclusiveであることに気づく。もちろん「私たち」と「私ども」、もしくは’우리’と’저희’の根本的な違いは中立/謙譲であるとは思う。謙譲体がexclusiveの意味を含むのは、論理的には必然的な帰結である。なぜなら、謙譲は客体に対する尊敬を示す待遇法であるのにも関わらず、主体がinclusiveの意味を持てば主体が客体をとりこんでしまい、論理的な矛盾が生じるからである。とはいえ、見方によっては日本語や韓国語もexclusiveの一人称複数を持つというのは興味深い現象である。もし、上に可能性を示したように、中国語とモンゴル語をはじめとする、いわゆるexclusiveとinclusiveの違いのある言語が実際には中立/inclusiveというシステムしかもっていないのなら、中立/謙譲(=exclusive)という日本語や韓国語のシステムと複雑度としてはそれほど変わらないということになるからである。 この話題は、もしかしたら対象言語学の分野では既に古い話題なのかもしれない。ただ、自分自身がこの話題に関する記述を目にしたことがないので、日記に書いてみたまでである。
by guixiang
| 2006-01-26 03:52
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